佐井寺はじまりは?

須恵器窯跡

 佐井寺の集落に、はじめて人が住みはじめたのは、いつのことか明らかでないが、佐井寺集落の周辺で、六世紀に須恵器を焼いたことは、現在わかっているだけでも10ヶ所近い窯跡があり、この窯跡の経営に従事した工人が、佐井寺に住んでいたとすれば、その人たちが佐井寺の最初の住人であったと考えられる。

しかし、六世紀といえば、古墳が盛んに造られていた時代であるが、佐井寺では古墳は見つかっていない。

 佐井寺の集落とその周辺には、かっては広大な水田地帯があったが、それが何時ごろからあったものかはわからない。

 弥生土器も出ていない、住居跡も発見されていない。とすれば、佐井寺で一番古いのは須恵器の窯跡。ということになる。

 仮に須恵器の窯跡が一番古いとするならば、佐井寺の歴史は六世紀にはじまる。ともいえる。

 道昭の止錫が史実であるとすれば、七世紀には、佐井寺にそれに価する何かがあったに違いない。少なくとも、現在の段階では、佐井寺の歴史は六世紀にはじまると考えてよさそうである。

 

 佐井寺で一番古いと考えられる遺跡である須恵器の窯跡は、

  

   吹田 8・9・26・27・28・34・41・42・45・51号須恵器窯跡

 

である。このうち数基は七世紀に経営された形跡もある。 以上の10基は、吹田地区で経営された窯跡の20%にあたり、かなり注目すべき存在である。  

 窯跡は、佐井寺東地区土地区画整理事業により現況をとどめていない。

 

須恵器窯跡34号は、昭和53年12月より、測量調査に並行して試掘拡設定された出土した須恵器は、杯蓋、杯、つまみ付杯蓋、蓋形土器、他であった。

 窯跡は調査後、紫金山公園に移され(写真)その現況を残されています。

   写真は、吹田市博物館「わかりやすい吹田の歴史」より