境内の摂社等
手水舎
水神社「天之水分神」(あめのみくまりのかみ)
山の水を分配仕る神
分水嶺を司どる神 農業用水を司る神様
伊邪那岐紳・祖父 伊邪那美紳・祖母
速秋津日子命・父 速秋津比売命・父
水神社右下本殿に上がる階段交差部分に 佐井の清水よりの
中間点石碑があります。
稲荷社「豊受姫神」(トヨウケノオオカミ)
食物の神
穀物の神
「伊射奈岐神社一座」 社標石 菅廣房の墓 須恵器窯跡案内標識
社前に菅廣房の名と「伊射奈岐社一座」と刻む社標が建っています。
江戸中期の学者並河誠所が、延喜式に記載の神社について、その所在地や名称が混乱しているのを正そうとして社標石建立を当時の寺社奉行大岡越前守忠相に願い出た、摂津国二十社を担当したのが、廣房です。
すべての社標石の建立は元文二年(1737)頃に完成することになりますが、廣房はその前年に佐井寺の庄屋の家で亡くなります。神社を望む向かいの丘陵の中腹の墓地に葬られました。
社殿の右脇に6世紀頃の須恵器窯跡が残されています。標識があります