佐井寺土地区画整理事業関係

佐井寺は周辺地域の開発が進むたびにその存域を縮小してきた経緯があります。
最初は、大正4年(1915)北大阪電気鉄道の千里丘陵開発計画です。

丘陵の一角に広大な遊園地、墓地、葬儀所を開発する計画もありました。

大正9年(1920)大阪住宅経営株式会社により千里山の住宅開発が始まり、

大正10年(1921)十三-淡路-豊津間に単線でしたが鉄路が施設されました。

半年後、千里山迄延伸され、途中千里山花壇駅がされました。

関西大学の移転に伴い、大学前駅も設置されました。

大正12年(1923)経営が新京阪電車に移りました。

 

千里山団地は、昭和32年日本住宅公団団地としては早い時期に鉄筋のコンクリートの中層住宅等が建設され、以後、市内の公営住宅は鉄筋コンクリートまたは軽量鉄骨構造で中層住宅が中心になったといいます

写真は「吹田市民環境会議ブログ千里山探訪(詳細)より借用しました。